私は、無限から有限は生まれないと思っている。
むしろ、その逆だ。
有限だからこそ、無限が生まれる。
一見すると矛盾しているように聞こえるかもしれない。
しかし、私たちの身の回りを見渡せば、この構造は至るところに存在している。
例えばテニスだ。
テニスには決められたコートがある。ネットがあり、ルールがあり、勝敗の条件がある。
つまり、徹底的に「有限」なのである。
ところが、その限られた条件の中から生まれる試合は、一つとして同じものがない。
選手ごとの個性。戦略。駆け引き。心理戦。
その組み合わせは、ほとんど無限と言っていい。
もしコートがなく、ルールもなく、何をしても自由だったらどうだろう。
それは自由ではあるかもしれない。
しかし、テニスではなくなる。
何をしてもいい世界では、何も定義されない。
壁がないから摩擦もなく、摩擦がないから工夫も生まれない。
有限という枠組みがあるからこそ、人は無限の可能性を引き出せるのである。
この考え方は、仕事でも同じだ。
私はカフェを営みながら、ホームページ制作や動画編集の仕事もしている。
では、自分は何者なのか。
「何でもできます。」
そう名乗ることもできる。
しかし、それでは深みが生まれない。
例えば、自分を「カフェのお兄さん」と決めてみる。
すると、その肩書きが一つの軸になる。
カフェのお兄さんとして何を大切にするのか。
どんな空間をつくるのか。
どんな言葉を使うのか。
どんな料理を出すのか。
逆に、何をやらないのか。
もし焼き鳥を出し始め、お酒とおつまみを並べれば、それはもう別の店になる。
焼き鳥が悪いわけではない。
ただ、「カフェ」という文脈から外れてしまうのである。
だからこそ、枠を決めることには意味がある。
枠は可能性を奪うものではない。
可能性を深めるものなのだ。
ホームページ制作でも同じことを感じる。
私はWordPressという仕組みを使ってサイトを制作している。
WordPressには数多くの制約がある。
だからこそ、その制約の中で「どうすればもっと伝わるか」を考える。
機能を理解し、その特徴を最大限に活かそうとする。
その積み重ねが、表現に深みを与えてくれる。
もし「何でも使えます」「何でも作れます」という姿勢だけなら、技術は広がっても、自分らしい表現は育ちにくい。
もちろん、肩書きに縛られすぎることには危うさもある。
視野が狭くなり、井の中の蛙になってしまうかもしれない。
だから必要なのは、大きな世界を知ったうえで、自分が立つ場所を決めることだ。
広い地図を持ちながら、自分のフィールドを定める。
その場所を誰よりも深く掘り下げる。
それが、信頼される人になる一つの道ではないかと思う。
私は、「自分は何者なのか」を決めることは、自分を縛ることではないと考えている。
むしろ、その有限な枠組みがあるからこそ、その中で無限の工夫が生まれる。
無限の可能性は、有限の器の中でこそ、美しく花開くのかもしれない。
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