姿勢は、作品に宿る

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どんなサービスでも、どんな表現でも、人や世の中に向けて何かを差し出す以上、その人の「動機」は必ず作品や商品に宿るのだと思う。

なぜ始めたのか。

本当は何がしたかったのか。

どんな姿勢を貫きたかったのか。

けれど、それらは時間の経過とともに少しずつ薄れ、ときに形を変えていく。

だからこそ、人はときどき原点に立ち返らなければならない。

自分は何を願って始めたのか。

どんな姿勢でありたいのか。

その問いに誠実であり続けることが、結果として人を満足させたり、心を動かしたりするものを生み出すのではないかと思う。

少なくとも私は、それ以外に人の心を深く揺さぶる方法を知らない。

例えば歌もそうだ。

「売れたいから歌う」のか。

それとも「伝えずにはいられない何かがあって歌う」のか。

もちろん、どちらが正しいという話ではない。

ただ、その動機の違いは不思議なほど作品に表れる。

人は理屈ではなく、どこかでそれを感じ取る。

言葉になる前の熱量や誠実さのようなものが、確かに伝わるのだ。

私自身の場合、その中心にあるものは驚くほど単純である。

それは、「手を抜かないこと」。

生きるということは、選択の連続だ。

そのたびに何を基準に決めるのか。

私は「手を抜かずに向き合えるかどうか」をひとつの基準にしている。

楽な方へ流れそうになったとき。

妥協したくなったとき。

この考え方が、自分を元の場所へ連れ戻してくれる。

世の中には、「何になりたいか」で悩む人が多い。

けれど、やりたいことだけを基準にしていると迷いは尽きない。

なぜなら、手段はいくらでも変わるからだ。

ホームページ制作かもしれない。

動画編集かもしれない。

飲食かもしれない。

あるいは、まったく別の何かかもしれない。

しかし、その根底に流れる姿勢は変わらない。

何をするかではなく、どんな姿勢でそれをするのか。

そこが定まっていれば、選択は案外シンプルになる。

私は命を燃やして、手を抜かずに手伝える技術と手段で、自己満足のために仕事をしている。

手段は変わってもいい。

目的が変わることもあるだろう。

けれど、自分が大切にしている姿勢だけは、できる限り貫いていたい。

そして、その姿勢を貫ける仕事を選ぶ人が増えたなら、人も社会も、今より少しだけ魅力的になるのではないだろうか。

それが自分らしさではないだろうか。

人の顔、性格、能力、全て違う。

せっかくなら自分に与えられた手札で自分らしさ表現しないと物凄く無体ないと思う。

何が言いたいか分からない文章だけど、姿勢とそこからくる色は世を豊かにするって話です。

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