多様性の前に文脈

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私たちは一人の個人である。
けれど同時に、もっと大きな全体の一部でもある。

そのことを考えるとき、私はよく舞台を思い浮かべる。

舞台には脚本があり、物語があり、それぞれの役がある。

もし役者が、

「自分の出番だけ覚えればいい」
「自分だけ上手く演じられればいい」

と考えていたらどうなるだろう。

おそらく、その舞台は成立しない。

なぜなら役というものは、自分のセリフだけで存在しているわけではないからだ。

その前後で何が起きているのか。
なぜその言葉を発するのか。
物語全体の中で、その場面がどんな意味を持つのか。

それらを理解して初めて、役は生き始める。

自分のパートだけを見ていては、本当の表現はできない。

全体を知っているからこそ、自分の役割が見えてくる。

私はこれは舞台だけの話ではないと思っている。

会社もそう。
チームもそう。
地域もそう。

自分だけ成果を出せばいい。
自分だけ評価されればいい。
自分だけ得をすればいい。

そう考える人が集まった組織は、どこかで方向を失う。

それぞれが違う方向を向きながら全力で走るからだ。

一方で、

「全体の中で自分は何ができるだろう」

という視点を持つ人が増えると、不思議と組織はまとまり始める。

自分を消すという意味ではない。

むしろ逆だ。

全体を理解するからこそ、自分の役割が鮮明になる。

自分の個性も能力も、初めて正しい場所で生きる。

最近は個性の尊重がよく語られる。

自分も偉そうにかたっている。

もちろん大切なことだと思う。

しかし個性とは、

「自分だけが輝けばいい」

ということではない。

舞台で言えば、主役も脇役も照明も音響も、それぞれが違う役割を持ちながら、一つの作品を創っている。

誰か一人だけが輝けば作品になるわけではない。

全体があるから、個が輝く。

そして個が輝くから、全体もまた輝く。

私は頭の良いことは言えないし、崇高な理念を掲げられるわけでもない。

けれど最近よく思う。

自分は何者か。

という問いの前に、

自分は何の一部なのか。

という問いがあるのではないか、と。

全体の文脈を知り、その中で自分にできることを探す。

その姿勢の中にこそ、本当の意味での個性や能力の発揮があるのではないだろうか。

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